中国王朝盛衰の歴史からみるCOVID19

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今日は、COVID19、新型コロナウイルスの騒動を
すこし視点を変えて考察してみます。

中華王朝の盛衰の陰に疫病あり

中国では歴史上、何度も王朝がかわっており、
王朝が変わる前兆としてかならずといっていいほど
「大疫」とよばれる大規模な疫病の流行がありました。

コロナが大疫の定義にあてはまるほどの殺傷力があるかは別として
中華王朝が歴史上、衰退滅亡してきた歴史の陰にはほぼ必ずといっていいほど
この3つがきっかけになっています。

  • 疫病
  • 害虫
  • 内乱

中華王朝に限った話ではありませんが、疫病や害虫で情勢が混乱し
国民が不安に陥り、貧しさで命の危険を感じたとき、内乱がおこります。

こういったとき、民は強いリーダーを求め、内乱を指導するリーダーを指示し
王朝への不満を爆発させ、王朝を転覆させてきました。

歴史的な大疫の記録

周王朝末期に大疫が起こったという記録が残っています。

後漢末期には、三国志の時代に入るきっかけになった
「黄巾の乱」が有名ですが

この黄巾の乱は
疫病に対する道教的な治病を太平道が扇動した内乱が発端になっています。
結果的に黄巾の乱を鎮めることができず、後漢を滅んでしまいます。

遣隋使でおなじみの隋でも王朝末期に7度に渡る疫病の大流行によって
数千万人の死者を出し、隋の滅亡の一因になったとされています。

チンギスハンでおなじみの元王朝も、
ヨーロッパまで領土を拡大するものの、ペストの流行により弱体化します。

このペストは、ヨーロッパでも大流行し、
ヨーロッパの当時の人口の1/4が死んだとも言われています。

その後、元からかわった明朝でも末期には、
ペストや天然痘が大流行し
1000万人以上の死者を出したと記録されています。

結果的にこのペストによる内乱で明は国力を弱体化させ、
異民族の女真族から襲撃され、清王朝が誕生します。

しかし図らずも清王朝が滅びる一旦になったのもこのペストです。

ペスト対策のために欧米列強を受け入れることで
ペスト対策以外のアヘンの流入、政治への介入などを招き、結果清王朝は滅びます。

これらの疫病が発端となり、各地で内乱が勃発。
内乱を鎮圧していく中で、国力が弱体化していくことで
異民族の襲来を受けたり、国内の対抗勢力が力をもったりして
細かな出来事はあるものの、大筋では同じ歴史を繰り返しています。

近代史における大疫

近代史においても同じような危機はなんどもありました。

例えば、毛沢東主席が行った「四害駆除」

伝染病を媒介する「蝿」「蚊」「鼠」
農作物を食い荒らす「雀」

この4動物の徹底した大量駆除を行ったことで、蚊や蝿などが媒介する疫病は減りましたが、
雀が捕食していたイナゴなどの虫が大量に発生し、
穀物を食い荒らし、飢餓による数千万人単位の餓死者を出します。

現在との共通点

現在、サバクトビバッタの大量発生や、
ヨトウと言う蛾の大量発生による食料の枯渇
天津や河北省で怒った原因不明の爆発など、不可思議な出来事が多発しています。

この状況は、清朝末期と酷似しているともいえます。

清朝末期、上記で述べたとおりペストが流行し、国民の生活は困窮を極めます。
食べるものも食べられず、餓死者は数万人規模で膨らんでいる中でも、
清朝の宦官、貴族たちは、国家の危機を考えることも見ることもせず、
ただただアヘンを吸ったり、豪勢な食事を楽しんだりと豪遊していました。

水害などの天災によって食料が枯渇し、財政難で国庫がなくなっても、
国内の金融危機で、様々なものの値段が驚くほどあがってしまっても、
国民をみることはせず、高官は私財を蓄え外国へ逃亡していきました。

この状況は、現在の中華人民共和国と似ているとも思えます。

再来年、冬季オリンピックは控えていますが、

現状のコロナウイルスだけでなく、モンゴルの肺ペスト、
コロナウイルスの陰にかくれて、報道されていませんが流行の兆しがみえている
新型鳥インフルエンザウイルスまで大流行すれば、
国民の不満はさらに高まり、歴代の王朝とおなじ運命をたどることになりかねません。

とはいうものの、我が日本も、
対岸の火事というわけにはいかない状況であることも憂慮しないといけないことです。

コロナウイルス騒動はおさまるきっかけを失い、
国民のコンセンサスを、いつどうやってとるかが課題といえます。

コンセンサスをとるためには

・有効なワクチンの提供
・有効な特効薬の提供

この2種類のうちどちらかが確実に提供される状況になることが条件です。